terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

奪われつつある〝考える機会〟

 

今から10年以上前のこと。

ネットでつぎのような意見を見かけました。

それは、

 

〝外国映画に字幕をつける際、

 通貨単位も日本円に換算してほしい〟

 

というものです。

 

たとえば

「身代金300万ドル用意しろ!」

というセリフがあったら

「身代金3億2000万円用意しろ!」

というふうに表示してほしいというのです。

 

その理由は、

外貨だと額がわからないからというものでした。

 

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外為法が改正され、

外貨投資も浸透してきていますし、

海外旅行を楽しむ日本人が増えている。

にもかかわらず、

こういう要望がでてくるのはどういうことか?

正直なところ、私は首を傾げてしまいました。

 

しかし、

こういった意見はけっして少数派ではなかったのです。

 

それに気づいたのは、

すでにテレビでは表現が変わっているのを知ったとき。

円に換算した額を

より大きく報道するようになったのです。

番組によっては

外貨表示を完全に外してしまうものがあり、

この傾向はニュースより、

バラエティー番組の方がより顕著です。

 

テレビといえば

私がもうひとつ気になっているのは、

外国語の吹替率です。

 

昔のテレビ番組は、

外国人へのインタビューシーンでは

字幕が主流でした。

しかし最近は、

日本語吹替の割合が多くなっています。

映画でも若年層向け作品では

吹替版での公開が一般的になりつつあります。

 

昔と違って

インバウンドで外国人が多く来日し、

海外で留学するひとが増え、

小学校でも英語を教え始めているというのに、

外国語が聞こえなくなりつつあるのは

なぜなのでしょう?

 

なぜ私がこれらを問題としているかというと

〝メディアが娯楽から学習する機会を奪っている〟

と感じられるからです。

 

たとえば外貨の価値を常に把握しておくことは、

世界情勢に通ずることにつながります。

また字幕映画を観ることは、

外国語の勉強になります。

 

これらは読書が国語の勉強になっているのと同じです。

〝娯楽のなかにも勉強の場がある〟

あるいは

〝娯楽それ自体が一種の勉強である〟

と言えます。

 

しかし最近のメディアの傾向を見ていると、

どうも娯楽のなかでまで勉強をしたくないひとが

増えているのではないか。

そんな一抹の不安がよぎってしまうのです。