terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

生活の問題、人生の問題

 

 

ひとは皆、なるべく高い学歴を獲得して、

多くのお金を稼げる職業に就きたいと考えています。

 

それが、この社会で成功することの意味であり、

人生においていちばん重要なことだと考えています。

 

しかしそれがまやかしだと言ったら、

みなさんはどう思うでしょうか?

 

私の好きな学術書の著者に、

ひろさちやさんという方がいらっしゃいました。

 

宗教をわかりやすく解説されている方で、

昨年、お亡くなりになりました。

 

その方のある著書に、

おおよそつぎのような一文が書かれていたのです。

 

——多くの人々は〝生活の問題〟と〝人生の問題〟を混同している

 

つまり、どういう仕事に就くとか

商業的に成功するといった類のこと。

 

それらは生活の糧を得るための行いですから、

生活の問題にすぎないというのです。

 

たしかにその稼ぎで食べているわけだから、

その通りであるとは思います。

 

しかしそうだとしたら、

人生の問題とはいったいなんなのでしょう?

 

 

これはつまり

「人間として何を成すか?」ではないかと

私は考えました。

 

とはいっても

前途の商業的成功は含まれません。

 

とてつもない財産を築いたとか、

一躍名を馳せて有名になったとか、

そういうことは一切関係がないのです。

 

人生の問題とは、いかに他人を喜ばせたか——

これに尽きるのではないかと思うのです。

 

いうなれば、マザー・テレサのような行いです。

彼女は貧しい人のために心を砕いて、

数えきれないほどの命を救いました。

 

もちろんこう書くと

マザー・テレサは有名人ではないか」

と考えるかもしれません。

 

しかし彼女は有名になりたくて

それを成したわけではないと思うのです。

 

たとえ無名で終わっても、

彼女は人生の問題と向き合って生きたことに

変わりはないと思います。

 

そうすると今度は「無名で終わったら、

結局だれにも評価されないではないか」

という意見が出てくることでしょう。

 

評価するひとはいます。

それはあなた自身です。

 

自分自身に嘘はつけませんから、

正しい評価を下せるのです。

 

 

 

話がそれましたね。

元に戻します。

 

まずもってマザー・テレサほどに

自分の人生を他人に尽くすのは、

一般人にはまず不可能でしょう。

 

でも、小さなことは

できるのではないでしょうか?

 

たとえば、小言を言わない。

うるさく自分を主張しない。

相手を気遣う。

 

そういったさりげないことで

いいのだと思います。

 

それらの行いは生きている間は

たいして他人の目には止まりませんが、

死んだ後に大きな意味を持つのです。

 

今回は受け売りではありますが、

多くの人に知って欲しいという思いから、

書き記しました。

 

たしかに、

仕事をすることは国民の義務であり、

生きていく上でとても大切です。

 

ですが、かといってそれだけが

〝私たちがこの世に生まれてきた理由〟

ではないのです。

 

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