terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

ゲーセンと「諸行無常」

 

 

1980年代後半——

 

ファミコンブーム真っ只中に10代をすごした私は

大のテレビゲームファンになり、

やがてゲームセンターにも通うようになりました。

 

当時のゲーセンは今と違って雰囲気が暗く、

〝不良の溜まり場〟などと言われていました。

私も最初は入りづらかったほどです。

 

そしてそこには男性しかいませんでした。

働いているスタッフもすべて男性。

それにずっと不満を持っていました。

 

あるとき、

いつも購読しているゲーム雑誌に、

座談会が載っていました。

 

業界の有名なクリエーターの方々が

ゲーセンについて語り合っており、

つぎのような意見に目が止まりました。

 

女性をゲーセンに引き込みたい。

もしそれができれば市場は倍に拡大する

 

当時の現状を考えると、夢のような話です。

女性がビデオゲームに熱中する姿など

想像できなかったからです。

 

「だけどもし実現すれば、

 どんなにいいだろう!」

とも思いました。

 

ところが

それから10年も経たないうちに、

その目標が実現したのです。

 

そしてその尖兵となったのは

プリント倶楽部』と『UFOキャッチャー』と

いった非ビデオゲームでした。

 

後者については

80年代からあったのですが、

人気に火がついたのは90年代に入ってからです。

 

これらの〝新兵器〟は女性や子供を

呼び込むのに大きく貢献しました。

 

ゲーセン自体も

暗い雰囲気が払拭されて明るくなり、

お客さんの笑い声がこだまするようになりました。

 

本来なら、よろこぶべきところです。

 

しかし当時の私は

それを苦い思いで見ていました。

 

というのは、

これによってゲーセンの勢力図が

大きく塗り変えられてしまったからです。

 

まず、ビデオゲームの占有スペースが

大幅に減らされました。

しかも世は『ストリートファイター2』が大ブーム。

 

かつての3割程度に残ったビデオゲームの筐体は

そのタイトルに独占されてしまったのです。

 

よって、施設内で遊べるものの大半は

プリクラとUFOキャッチャーとスト2だけ。

 

横スクロールのシューティングゲーム

好きだった私にとっては壊滅的でした。

 

もはやゲーセンは興味のある場所ではなくなり、

それ以後は足を踏み入れることもなくなりました。

 

 

この体験から、

私はつぎのような教訓を得ました。

 

文化を普及させるということと

かつてからある文化を守ることは

まったく違うのだな、ということです。

 

守りつつ普及を目指せれば良いのですが、

現実にはどちらかが犠牲になる。

でも、それは仕方がない。

 

「それはそれで別にいいのだ!」

 と考えるようになったのは、

 仏教を学んでからのことです。

 

誰でも聞いたことのある

お釈迦さまの言葉〝諸行無常〟は、

世は常に変化して移ろうことを意味しています。

 

だから、変わらないものはない

よってゲーセンも変わらざるを得ないのです。

 

それに、たしかに

私は楽しみをひとつを失いましたが、

恩恵を受けた人の数はもっと多いかもしれません。

 

だから、それはそれで良かったのだと、

今の私は受け止めています。

 

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