terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

埋められつつある時代の落差

 

ここしばらく故・ジャニー喜多川氏による

性加害が問題になっています。

私はこの事務所のファンではありませんが、

毎日のようにニュースをチェックしてしまうのは、

子供の性被害問題に興味があるからです。

 

若い頃にタイの児童売春問題に関心を持ち、

そういったノンフィクション本を

読みあさっていた時期がありました。

 

また、ビリー・ミリガンをはじめとする

多重人格者にも刺激を受けたことがあります。

その原因は、幼児期の性被害です。

 

それだけにこの日本で、

何百人もの子供たちを手にかけた男がいた。

 

しかもそれが社会的にたいへん地位のあった

実業家であり名芸能プロデューサーだった——

という現実に眩暈がしたのです。

 

 

そしてその一方で、

この問題が軽視されてきたことが、

大きな社会問題になっています。

 

「男性が性被害の対象になるという認識がなかった」

「芸能界のゴシップとして捉えていた」

「当時は、そういう時代だった」

 

とマスメディアの人々は口を揃えます。

 

https://www.asahi.com/articles/ASR6V73N4R6VUTIL015.html

 

正直、それはとてもわかると思いました。

 

これは、いわば集団心理だと思います。

みんなが口をつぐんでいると、

自分も声を上げてはいけないと考えてしまう。

 

もし私が当時、

マスメディアで働く人間だったら、

やはり皆に倣えで何もしなかったと思います。

 

 

このニュースに触れているうちに、

私はあることを思い出しました。

 

それは四十年前、

まだ中学生だったときのことです。

 

ある日、私は体操着を忘れてしまいました。

それで先生にどうして良いかたずねたところ、

下着姿で授業を受けるように言われたのです。

 

そのときはすこし驚きましたが、

言われたとおりにしました。

 

当たり前ですが、

他のクラスメイトにじろじろ見られて、

とても恥ずかしかったです。

 

しかし当時は、

それが不当な辱めなどとはまったく思わず、

声を上げようなどとも考えませんでした。

 

私には子供がいないので、

今の学校の状況は知りません。

 

しかしもし今も、同じことが行われていたら、

かなり問題になるのではないでしょうか。

ひょっとしたら報道対象になるかもしれません。

 

 

なので今回の性加害のニュースは、

時代の落差が埋められた象徴のようなものだと、

私は受け止めています。

 

以上のような理由から当時、

事務所に関わりのあったひとたちを

批判するのは的外れだと思います。

 

また、それを助長したという理由で

ファンの方々にまでに難癖をつけるのも、

同じです。

 

たしかに広い意味で言えば、

「その時代を生きた全員が加担している」

と言えなくもありません。

 

が、かといって、

それを理由に個々を叩くのは、

あまりにも横柄だと考えます。

 

もちろん検証はぜったいにすべきです。

ただ外野の人間が文句をつけることではない、

と感じるのです。

 

最後に私の大好きな映画

ボーン・アルティメイタム』に登場するセリフを

引用して締めさせていただきます。

 

「現場にいなかった者が、あとから批判するのは簡単だ」

 

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