terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

公園で遊ぶ子供を見守る感覚で、世界を眺める

 

先日

生きがい論のシリーズの飯田史彦先生

の講演会に行ってまいりました。

 

先立った方は、

あの世でどのように暮らしているのか?

がテーマで、

さらにはどの本にも書かれていないことを

話されるというので、

とても楽しみに傾聴しました。

 

いろいろと興味深い話が伺えたのですが、

講演の内容をここでバラしてしまうわけにもいきません

(なにせ、本に書けないことを話されたわけですから)

 

それで、いろいろ考えて、

この一点だけなら、

きっと先生も

大目に見てくださるのではないかと思い

(とは言っても、お墨付きではありませんが・笑)

書いてみたいと思います。

 

とある遺族の方からの、こんな質問。

「あの世に先立った人たちは、

どんな風にこの世の私たちを見守っているのか?」

 

それについて、先生は次のように答えました。

 

「公園で遊ぶ子供を見守る感覚で、

私たちを見守っているのです」

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子供を公園に連れて行き、遊ばせていると、

つまづいて転んだり、他の子と喧嘩したりします。

 

 しかし、ここで保護者が首を突っ込んでしまっては、

子供は成長しません。

放っておくと、自分なりの解決方法を見つけて、

また遊び始めます。

 

そういう子供の姿を見る感覚で、

あの世に旅立った魂は私たちの生活を見守っている、

というのです。

 

これ自体、とてもいい話だと思ったのですが、

帰り道でふと、こんな考えが浮かびました。

 

これは今を生きている私たち自身にも

応用できるのではないか、と。

 

例えば、ネットをやっていると、

いろいろと不快なことに出会います。

SNSでユーザー同士が揉めていたり、

炎上商売をやっている人がいたり、

フェイクニュースを流している人がいたり、と。

 

以前の私は、こういった事に腹を立て、

できる場合はひとつひとつ

首を突っ込んでいたのですが、

今は一切やめてしまいました。

 

正に〝公園で遊ぶ子供を見守る感覚〟で、

傍観するようにしたのです。

 

[http://Embed from Getty Images :embed:cite]

 

すると、どうでしょう。

穏やかに日々を過ごせるようになったのです。

 

人間、時には何かに怒ることも必要でしょう。

しかし、それ以上に、

〝公園で遊ぶ子供を見守る感覚〟

でこの世界を眺めやって暮らす方が、

よっぽど有意義で意味のある事だと思うのです。