SNSでつながっていたある友人から、
「以前は頻繁にコミュニケーションを
取っていたけれど、最近はご無沙汰ね。
なぜもっと参加しないの?」
と、直接尋ねられるわけではありませんが、
そのようなムードを感じることがあります。
私がネットを始めたのは90年代後半。
まだダイヤルアップ接続が一般的な時代でした。
当時はSNSという言葉は存在せず、
セキュリティーの問題も気になりませんでした。
たとえば、
メールアドレスを公表しても
差し支えなかったほどだったのです。
私はこの無距離な空間で様々な人々と
出会えることに魅了され、
当時は生活の一部になっていました。
今ふり返っても、
本当に楽しい時間だったと思います。
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それが、10年が経過する頃からでしょうか。
私は次第にネットの利用を控えるようになりました。
理由は、
コミュニケーションにおいて顔を見ることがないぶん、
人々の遠慮がなくなることに疲れを感じたからです。
おそらく2000年代半ばごろからでしょうか。
ネットの普及に伴い、
マナーを重視しない利用者が増えたのです。
これに私は、
振りまわされるようになりました。
たとえば投げかけられた質問に、
こちらがていねいに答えても
何の反応も返ってこなかったり。
議論の場ではまず自分の意見を
理解してもらうだけで骨が折れたりしました。
さらにはネット右翼と呼ばれる人々の存在も不快でした。
また、議題に関連して
自己顕示欲を満たす機会にされたこともありました。
私が明確な理由を添えて論理的に反論すると
相手は怒り出し、
場合によっては誹謗中傷されることもありました。
逆に、自分の考えを投稿すると、
十分な代案も示されずに
ひたすら否定されることがありました。
個人的にそのアイデアが気に入らないから——
というだけで否定されるのです。
理解できませんでした。
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余暇の楽しみとして参加していましたが、
逆に不愉快な思いをさせられ、
場合によっては遺恨が残ることも珍しくありません。
そうして、
次第に時間の無駄だと感じるようになったのです。
オークションやショッピングなどの
オンラインサービスの利用もやめました。
さらにある時期には、
ネットを使わない生活ができるかどうかを
試した時期もありました。
結果的に、それは不可能だとわかり、
その後はネットを上手に活用する方向へ
転換したのですが。
ただし、コミュニケーション目的での利用を
復活させたのは数年後のこと。
その間に、さまざまなSNSが普及してしまい、
結果として私は乗り遅れた格好になりました。
今でもそんな存在かもしれません。
しかし、それよりも、
穏やかなやり取りが重要だと考えています。
そのため、現在は深い議論を避け、
喧嘩になるかもしれない場面では、
言い返さずに身を引くように心掛けています。