terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

犯罪歴のない殺人者

 

ウクライナ侵攻におけるロシア批判ついて、

こんな投稿を見かけました。

 

「他国への侵略は過去にアメリカもやっている。

 なのに今さらロシアを非難できるのか?」

 

というものです。

 

一見、とても的を射た意見のように思えます。

じつは私も若い頃はそう考えていました。

 

けれどもある時期から、

それはちがうと悟ったのです。

 

たしかにかの国は、

民主主義を広めるという美徳を口実に

数多くの植民地を作り出した蛮族的な国家であり、

アフリカの人々を連行して奴隷にし、

さらには鯨を乱獲した。

 

もっとも醜い行動は、

広島と長崎に原爆を落としたこと。

これはほんとうに腹ただしい。

 

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あの大国がそういったかつての〝悪行〟に対して、

きちんと真正面から謝罪したかというと、

とてもそうとはいえない。

 

ただ、

同じ過ちをくり返さないという姿勢は見せている。

 

これはつまり、

〝進歩した〟

ということだと思うのです。

 

進歩するために、

あえて悪行を重ねる必要がある——

 

これは個人でも同じだと思います。

 

「何言ってるんだ?

 俺はひとを殺したことはないけど、

 それが悪いことだって、知ってるぞ。

 そんなことは経験しなくたってわかる」

 

そう考える方がいるかもしれません。

 

でも、じつはそうではない。

なぜかというと私たちは、

 

〝犯罪歴のない殺人者〟

 

であり、

その記録と記憶がないのは

 

〝魂の歴史に秘められているから〟

 

であると考えているのです。

これは、どういうことか?

 

古代から中世の人々は、

今よりもはるかに低い倫理観のなかで

生きていました。

 

〝力による現状変更〟などは当たり前。

そもそも民主主義などという考え方はない。

 

権力者は意のままに振る舞い、

民衆に重税を貸し、

飢饉になると

貧しい農民から死んでいきました。

 

死刑廃止論という概念すらない。

日本では切腹

つまり自害によって責任をとる

という考え方が認められていました。

 

つまり、

命の重さは今よりずっと軽かったのでしょう。

 

 

しかし死んでも、

人間は消えてなくなるわけではない。

その多くはふたたび生まれ変わります。

 

ということはこれまで転生してきた過程で、

すくなくとも一度ずつくらいは、

加害者と被害者の両面で殺人を経験していても

何ら不思議ではない。

 

そして現代人の多くは

過去世の記憶はなくとも

無意識的にその経験を踏まえているから、

殺生に対して否定的かつ敏感でいられるのではないか。

 

もちろん今の時代でも、

他人を殺める者はいます。

これについてはどう説明するのか?

 

その場合は、

過去生にまったくその経験がないか、

あるかまだ学びの途中か、

もしくは今生が初の人生か、

そのどれかではないか?

 

そして進歩するために、

殺生の無意味さを学ぶために、

あえて罪を犯しているのではないか——

 

そう私は推測しているのです。

 

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