terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

わからないことは「わからない」ままでいい

 

 

昔、あるSNSの農業コミュに

こんなスレッドを立てている方がいました。

 

「最近、工場型の水耕栽培が増えてきている。

 天候に左右されず同じ面積で多くの作物を作れる。

 ならば、昔ながらの土を耕す農業をやめて、

 そちらへの転換を図った方がよい」

 

というものです。

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とうぜん、それに対して

否定的な意見が寄せられました。

 

「やはり野菜は土で育てるもの。

 そもそも水耕栽培では

 作れる作物に限りがある」

 

私もそう思いましたが、

そのスレ主はこう説明してきたのです。

 

「私は現在アメリカに住んでいる。

 この国では自然が身近だ。

 それにくらべて日本は自然が少ない。

 だから工場型水耕栽培に転換することで

 余った田畑を自然に帰した方がいい。

 そもそも農地には本来の自然はないのだから」

 

これはまったく理解に苦しむ意見です。

 

まず、日本とアメリカでは地形が違います。

日本の国土は山地が7割。

残り3割の平地に1億2千万人の国民が

ひしめくように暮らさざるを得ない結果、

自然との住み分けがはっきりしてしまう。

それは仕方がない話です。

 

しかも農地は田舎に多いため、

都会人が恩恵を受ける解決策にはなりません。

 

さらに田畑に本来の自然がないのはたしかですが、

宅地や工業地、商業地にもないのは同じです。

なのに、代替候補地は農地だけ。

 

私がその疑問をダイレクトにぶつけると、

「自分の実家が農家だったから。

 農家としての意見です」

というのです。

 

でも農家ならばなおさら

このアイデアは受け入れられなのでは?

 

長年耕してきた私有地を

何の利益も産まない土地に転換する

物好きがいるとはとても思えません。

 

さらに、そもそもそれが目的だというなら、

水耕栽培を普及させる話は

その手段に過ぎなくなってしまいます。

 

にもかかわらずそのスレ主さんは、

そちらにご執心なんですよね。

 

ずいぶんあとになって考えてみると、

たぶんこの方は、

 

水耕栽培になぜ賛成なのか、

 自分でも理由がよくわからず、

 苦し紛れに自然を増やす話を

 持ち出したに過ぎないのではないか」

 

と考えるようになりました。

 

 

人間はときどき、

自分でも理解できない情熱に駆られるものです。

 

たとえばこの私も小説を書いていますが、

じつのところなぜこれほど精を出しているのか、

さっぱりわからないのです。

 

でもこれはスピリチュアル的には意味があることで、

自分が信じるならば(それが違法なことでさえなければ)、

信じるままに動くことをお勧めしたい。

 

が、しかしその一方で、

 

「理由は自分でもわかりません」

 

と言えることも大切ではないでしょうか。

 

変な理屈を持って来られると、

かえって意図が見えづらくなり、

賛同する気もなくなってしまいます。

 

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