terra〜物語のガードナー

物語を紡ぎ出すことに人生を費やしているインディーズ作家・多部良蘭沙が、日常で感じたことを綴るブログです。どうぞ、よろしく!

〝正しく恐れる〟は正しかったのか?

 

今まで同じテーマをつづけて

ブログに上げるのは避けていましたが、

さすがにこれだけ事態が切迫してしまうと

気にせずにはいられません。

  

全世界がきびしい状況にあるが、

見方を変えるとこれも貴重な学びの場かも。

そう考えて、

思うところをつらつらと書いてみます。

 

新型コロナウイルスについて

私が最初に危機感を持ったのは、

武漢が封鎖された1月下旬。

中国での死者数がSARSのそれを超えた頃だと思います。

 「これはたいへんなことになるかも」

と感じていました。

 

もちろんニュースでも連日、

取り上げられていましたが

その一方で楽観的な見方もありました。

 

つまり、

「8割が無症状もしくは軽症で済むウイルスに

これほど騒ぐ必要はないのではないか」と。

 

「インフルエンザとたいして変わらない」とか

「致死率はいずれ風邪と同じくらいにまで下がる」

などという意見もありました。

 

しかし、

そもそもインフルエンザで医療崩壊は起こらないし、

致死率は逆に上がっています。

現在の状況を見る限り、

このウイルスが弱毒なものとは思えません。

 

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さて、この流行が始まってから、

今まであまり耳にしなかった言葉が飛び交っています。

〝オーバーシュート〟や〝クラスター〟

〝ロックダウン〟など。

カタカナ言葉がずいぶん多いのですが。

 

しかしそのなかで

〝正しく恐れる〟

というフレーズがありました。

 

過去形なのは、

ここ最近はあまり聞かなくなってしまったから。

 

初期の頃は

「重症者は2割、

致死率は2〜3パーセントにすぎないから

パニックになる必要はない」

という意味で使われていたと思うのですが。

 

しかし今では無症状者や軽症者でも

ウイルス拡散に貢献してしまう上に、

10代でも500人にひとりは死亡してしまう

事例が起きているため、

なるべく他人との接触を禁じています。

 

この事態の変化は、

ウイルスそのものが変異したから、

という理由もあるのでしょう。 

 

しかしその一方で、

正しく恐れようとしたあまり、

逆にこの感染症を甘く見てしまった。

 それがパンデミックを許し、

さらには十分に時間があったにもかかわらず、

医療崩壊に対する備えが

遅れた理由のひとつになってしまったのではないか?

と私は考えるわけです。

 

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